「終戦の日」にカール・バルトと小林秀雄。

2023年8月15日終戦の日

産経新聞、文芸評論家 新保祐司氏の「正論」より

 

小林秀雄「講演  文学と自分」昭和15年の夏

 

「戦が始まった以上、何時銃を取らねばならぬか分からぬ。その時が来たら自分は喜んで祖国のために銃を取るだろう。而も(しかも)、文学はあくまでも平和の仕事ならば、文学者として銃を取るとは無意味なことである。戦うのは兵隊の身分として戦うのだ。銃を取る時が来たら、さっさと文学など廃業してしまえばよいではないか。簡単明瞭な物の道理である。」

 

カール・バルト が1940年4月、54歳の時、自ら志願して予備役防衛軍兵士として軍務についた。当時はバーゼル大学教授であった。

 

「おそらく、それほど有能で、敵に脅威を与えるほどの兵士ではなかったと思われるが、ともかく武装して訓練を受けた兵士であった。彼自身の希望で単なる事務職の軍人にはならず(彼の上官は、配慮して事務職につく命令を出そうとしたが)、5月には銃砲射撃訓練を受け、さらにその他の多くの軍事技能訓練を受けた。暗い深夜のライン川や、バーゼル貯水池防備の歩哨に立ち、そして非番の時は麦わらの上で睡眠をとった」

 

以前、バルトの伝記を読んだ時、この「一兵卒」として志願したという事実に感銘を受けた。そして、それが書かれている項に、軍服を着て鉄兜をかぶり銃剣をつけた銃を握りしまたバルトが歩哨に立っている写真を見たとき、バルトの神学の深さがどこから来ているのかが分かった気がした。この度の眼鏡をかけた初老の男は「おそらく、それほど有能で、敵に脅威を与えるほどの兵士ではなかった」に違いないが、精神においては強靭なる「一兵卒」だったのだ。

 

小林秀雄カール・バルトは「時至れば、喜んで一兵卒に志願する」覚悟ができていた。